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サリンジャーが死んでしまった。
2005年だったか、2006年だったかの8月4日。
私はナイン・ストーリーズに夢中であった。

この短編集後半の2編はなにか宗教的なにおいが
している。
また神がかった奇妙な感じを与えた。
この短編集に出てくる主人公たちの多くは
とても目がするどく、また自意識も過剰である。
人のことは言えないが。

私はサリンジャーの本を読むのは
これが初めてであったし
彼の文章は乾いていて
あまり読み慣れていなかった。
けれども、微妙な人物描写が
人間の奥にある様々な心理を浮かび上がらせ、
それが非常に興味をそそられ、
つい、読んでしまったようだ。

"テディ"は10歳にして教授たちと対等に
論議をかわす早熟な子供が主人公の話。
10歳にして聡明さをたたえた、
しゃきしゃきした小生意気な少年である。
そしてもうひとりの登場人物、ニコルソンが
様々な質問をしつこくテディに投げかける。
その質問にテディは無邪気さと小生意気さとを持って
ずばりと答える。

そして吐き捨てる。
「こんなリンゴ食いの連中なんて見たことないや」

リンゴというのはアダムが食べたリンゴ(理論)のこと。
そう、わたしもテディとおなじように思うけれど、
モノを理解するのに理論は必要じゃない。
当然のことだけれど、こうなってしまった大人たち。
今の世の中。
本当の「わかる」というのは頭でああだこうだ
考えることではなく、頭の中は空なのに(無心ということ)、
あるモノを見た瞬間
あぁ、そうかと心底合点がいく。
そんなことだ。
その考えはいつも持っていたが、
上手くテディが教えてくれた。
上手くいえないが、本質をつかむことは
そうじゃないとできないんだ。

それはたとえば本を読んでいくとき、
音楽を聴くとき、絵を見るときに。
そこから受け取る無文字の何かを
大切にすることと同じ姿勢だ。

こういう経験に数多くめぐり合い
たくさんの発見をしていけば日々楽しいだろう。

けれども
それにはもっと私は頭を空っぽにしないといけない。

そんな数年前の記憶を呼び戻させられた出来事だった。
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『一夏中かけて何かに取り憑かれたように25メートルプール一杯分ばかりの
ビールを飲み干し、『ジェイズ・バー』の床いっぱいに5センチの厚さに
ピーナツの殻をまきちらしでもしないと生き残れないくらい退屈な夏を
送っていた』
                   村上春樹  『風の歌を聴け』より

『人生は空っぽである』『人生は不毛である』
つまりあらゆるものは通り過ぎる。そしてそれは誰にも抑える事はできないと
いう事なのだろう。
僕たちはきっとあらゆる複雑なモノや宇宙なんかにも匹敵するくらいの
奇跡に満ちていると信じたい。

『酒と人間とは、絶えず戦い、絶えず和解している仲の善い二人の闘士の
ような感じがする。負けたほうが常に勝ったほうを抱擁するのだ』

                ボードレール『人工の楽園-阿片とハシシ-』より

つまり僕が思うに刺激の中の一瞬の静かな瞬間の大事さというのは、刺激があってこそなんだよなと思う。
可能性というのは他人が評価する目に見える部分もあるが、自分の肉体の中で自分の感覚でしか感じられない部分での可能性もあるのだ
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